張遼
楠大典
字.文遠
呂布に仕えていたが、呂布が曹操に敗れたことで曹操の配下となった。合肥の戦いでは呉軍と死闘を演じ、江東では「張遼の名を聞けば泣く子も黙る」と言われた。その死後は功臣として曹操と合祀された。