諸葛亮と共に「臥龍・鳳雛」と称された知謀の士。赤壁の戦いでは曹操軍に赴いて連環の計を進言し、曹操軍の船を鎖で繋がせた。これにより蜀呉連合軍は火計で大勝した。その後は劉備に仕えたが、益州攻略の最中に戦死した。